• 3月 13

    我が家の前のマンションに一年近く前に引っ越してきた女性がいました。

    古い賃貸の五階建てのマンションの四階に住む女性はいつからか入居していて、
    時折ベランダから外を眺めている姿を見かけたものでした。
    カーテンもマンションの管理者が臨時につけていたままのようで、
    洗濯物も無くなんだか生活感のない女性でした。

    ただ間違いなくそこに住んでいると言えたのは、
    朝に夕に時には真夜中に何やら叫び声が聞こえたのでした。
    はっきりとは聞こえないけれど、
    誰かをののしっているような声が聞こえたり、突然笑い声が聞こえたりで、
    一人で話しているのか誰かと話しているのかさえもよくわからない声でした。
    しばらくの間は、夜の10時過ぎくらいの決まった時間に声が聞こえるので、
    演劇の練習でもしているのかと思うほどでした。

    古いマンションで防音なんてなくてよく響くのです。
    一時はよくパトカーが夜中に来ていました。きっと近所から苦情がいくのでしょう。
    夏は窓を開けているからか特に響き渡り、パトカーも毎日のように来ていました。
    ただ少し経つと、近所の人も慣れたのか諦めたのか、次第にパトカーは来なくなりました。

    シーンとしているのかいないのかわからないと思うと、
    突然叫び声が聞こえるというのが当たり前のようになり、
    「今日は元気ね」「今日はいいことがあったのかしら」なんて家族と話すほど、
    我が家の暮らしの一部になっていました。

    彼女の面白いところは若い人には優しいのでした。
    同じマンションに住む中学生くらいの男の子が夕方マンションの駐車場で素振りをしていると、
    ベランダから「がんばってー」と声をかけたり、
    飴を投げて「こんなのでごめんなさい。がんばってね」なんて言っているのが聞こえました。
    応援された男の子は戸惑ってはいましたが、熱心に応援している様子が伝わってきました。
    時には下を歩く学生さんに手をふって投げキッスをしていました。
    小さな子どもには、とりわけ優しく声をかけていました。

    最近は、女性の部屋のベランダの手すりにポツンとハッサクのようなみかんが置いてあり、
    何を思ってベランダから外を見ているのかしらと、ふと上を見上げる癖がついてしまいました。
    ある日女性が上の階の人とベランダで話しているのが聞こえました。
    「ちょっと引っ越すかもしれない。近くだけどー」
    しばらくして気がつくとみかんはなくなり、声もしなくなりました。
    本当にどこかに引っ越していかれたようです。

    なんだかどこかのマンションで叫んでいるのではないかと、
    マンションの前を通る度にふと姿を探してしまうようになりました。
    全くの他人の女性ですが、元気でいられるならいいなと願っています。

    そういえば、最近主人にミライースを買ってもらいました。
    主人も奮発したなぁと思いつつ、嬉しい私。
    実は、先日雨の日に自転車で買い物へ行って派手に転び、手の骨にひびが入ってしまったのです。
    そろそろ車で楽に買い物したら?と買ってくれたのがミライース。
    大事に使わせていただきます。。

  • 3月 12

    先日、新聞に梅の木にとまっためじろの写真が載っていた。
    私は大きい鳥は苦手だが、手の平にのる大きさの小鳥は子どもの頃から大好きだ。

    何年か前、自宅のベランダ前の植え込みにめじろが止まっていた。
    その年に生まれたらしい、まだぷくっとした感じのかわいいめじろだった。
    小鳥はひなの間、口が大きく開くように、くちばしの脇にだいぶ余裕がある。
    私がベランダに出ても、きょとんとした顔をしていた。
    あまりにかわいくて、手の平にのせて、写メをとりたいくらいだった。
    遠くから鳥の鳴き声がし、小さなめじろはパタパタッと飛んで行った。

    私は小学生の頃、文鳥を飼っていた。
    とにかくかわいい、という思い出しかない。

    ひなから飼い始め、ひな用の餌を食べさせる。
    食欲のないひなには、時々空腹具合を見て、口を開けさせて食べさせる。
    だんだんと羽根がしっかりしてきて、飛ぶ練習を始める。
    飛ぶ直前までぎゅうっと私の指につかまる。
    痛いくらいの力と、ぷるぷるとしている緊張感が伝わる。
    ギュッと力が込められた、次の瞬間ふっと飛ぶ。
    羽音と、羽根の動きのぶれて見える飛翔は、今でも記憶に残っている。
    大人になって、本当にうまくいかない、と痛感することがある。
    その一方で、もう駄目だ、と落ち込んだあとに、ふっとうまくいく経験もある。
    そのふっとうまくいった記憶は、私の指から飛翔した鳥の姿に重なる。

    今でも、私は小さな鳥が好きで、
    動物園のふれあいコーナーでは、ひよこのおなかからそっとすくいあげて手の平にのせたり、
    ペットショップでは、小鳥のコーナーを見る。
    小さな鳥にも性格があり、本当にかわいい。
    嬉しい時、怒った時も分かりやすい。
    ダンスもするし、指にかみつくと、くっきりとクチバシの跡がつく。

    昔、うちにやってきてくれた文鳥は、
    私のところへきてヨカッタと思ってくれているのかな。
    私は、本当に大事にできたかな。時々そんなことを思う。
    今でも、気持ち良さげに鳴く伸びのある声や、
    羽根の滑らかさや、なんとも言えないにおいを覚えている。